東京都行政書士会のご案内

ホーム > 東京都行政書士会のご案内 > 行政書士とうきょう

行政書士とうきょう

会員向け広報誌「行政書士とうきょう」から、特集記事等をお届けします。

「行政書士とうきょう」は、東京都行政書士会の会員向け広報誌です。
会員以外で購読(有料)を希望する方は、東京都行政書士会事務局(03-3477-2881)までお申込みください。

2013年11月号:特集

我が道を行く(第1回)
(前編)城南信用金庫が考える原発に頼らない社会と企業活動とは
城南信用金庫理事長 吉原毅さん

城南信用金庫理事長 吉原毅さん

吉原さんプロフィール

1955年東京都大田区生まれ。1973年麻布学園麻布高等学校卒業、1977年慶應義塾大学経済学部卒業、同年城南信用金庫入庫。2010年から現職。自らの年収を支店長(1200万円)以下に抑え、理事長・会長任期を最長4年、停年を60歳とする経営改革を断行。

記事:新居崎邦明(品川支部)
写真:梶原恭子(広報部)

本日はご多忙中のところ、東京都行政書士会の広報のためにお時間をいただきまして、ありがとうございます。

東京都行政書士会は、行政書士の団体ですが、仕事として様々な企業のお仕事をすることがございます。また、行政書士は、法的な知識や経験をもとに仕事をしていますけれども、ただ自分の身の回りのことだけを考えていれば良いのではなく、世の中で起こっているいろいろな問題にも目を向け、あるいは国民の皆さんと一緒に考えていかなければならないこともあると思います。そんな中で、2011年3月の東日本大震災、そして福島第1原発の事故を目の当たりにして、ますますその思いを強くするようになりました。そして、昨年12月に「行政書士フェスタ2012〜福島から食の安全を学ぶ〜」というイベントを行いました。原発事故そして放射能被害という未曾有の事態の中でこそ、食の問題を考えることができるししなければならない。そんな思いから福島県の有機農業者の取り組みを知り、また、福島県の農業を応援しようとしたものです。

しかし、原発事故による福島県の状況は、なおも大きな問題を抱えているにも関わらず、急速に人々の脳裏から消えていっているようにも思えます。そんなとき、城南信金の吉原理事長のお書きになった『信用金庫の力』や『城南信用金庫の「脱原発」宣言』を読む機会があり、吉原様のお話しから、私たち行政書士も考えていかねばならない事柄をつかむことができるのではないか。そうしたことから今回のインタビューをお願いしました。

福島第一原子力発電所の現状から思うこと

吉原さんが理事長をなさっている城南信用金庫は、事故直後の4月1日に「脱原発宣言」(巻末資料参照)をお出しになった金融機関として知られていますが、吉原さんは事故以降の今現在をどうご覧になっていらっしゃいますか。

政府は、原発事故はアンダーコントロールされていると言っていますが、そんなことは全くないと思います。例えば飯館村現地に行けばすぐ分かります。帰宅困難地域がたくさん残っていて、故郷に戻れない方がたくさんおられる。汚染水も垂れ流し状態ですし、一部は外洋にまで出ていることが確実視されてきています。メルトダウンした原発の状態もわかっていない。私は、そもそも原子力は人間の力ではコントロールすることのできないものだと思っています。多くの学者さんが現地の調査を行っていますが、空気も大地も海も汚染されてしまっている。再び地震が来て新たな事故が発生する可能性もある。国会の事故調査委員会の先生方の話を聞くと、今回の事故の原因は津波よりも地震によると考えられ、地震による建物や設備の破壊など原発が被った被害はとてつもなく大きく、被害からの回復には大変長い時間が必要だということでした。しかし、このことはほとんど報道されず、事故調も開催されなくなりました。「みどりの風」の議員さんが事故調の先生の証人喚問を求めていますが、いまだに実現していません。政府や一部の議員さんにとって都合の悪い情報は流さない、あくまで事故を過小評価したいという力が働いていますね。

どうしてそんなことが起こるのでしょうか。

情報を隠蔽することによって利益を得る人たち、組織があるからです。原子力マネーに群がって利益を得てきた政財官の原発トライアングルに加えて、マスコミそれに学者たちが、本当は事故を押さえ込めるかどうか分からないのに、目先の利益のために、本当のことを言わない。利益を生み出してきた今までの仕組みを変えたくないのです。

わたしはこれを「お金の暴走」の一つと考えています。お金が持っている自己本位性、追従性、狭窄性に捉え込まれ、市場経済原理を中心とする損得集団主義としか言えない、「まちがっていても組織やグループの利益になるなら」という考え、いわゆるセクショナリズムがまん延しているように思えます。元々は日本人の良い国民性であった日本的集団主義とも言うべき、「天地神明にかけて」とか「祖先や神仏を敬う」といった自然や自分のルーツへの畏敬の念が薄れて日本人の謙虚さや道徳心が失われてしまっているのです。「まちがった判断には自分だけでも同調しない」という、「正しい考え方を皆で持っていく」という集団性を取り戻さなければならないと思います。

城南信金が考える原発に頼らない社会と企業活動

屋上に設置された太陽光パネル

屋上に設置された太陽光パネル

城南信用金庫は「原発に頼らない社会と企業活動」を提案していますが。

城南信用金庫のある東京と神奈川にも、2011年3月15日には大量の放射能が届きました。水道水が飲めないという状況も発生しました。そんな状況になっているにもかかわらず、政府が打ち出したのは「原発は止められない。原発を止めたら電気が足りなくなるから」というものでした。でも、それは本当なのか? それに、電気が足りないというだけの理由で原発を止められなくて、これからも事故が起こる危険性を放置するなんて、とても考えられません。足りないことが理由なら、足りるようにすれば済むはずです。節電をして、原子力に頼らない社会を創りましょう。そのために企業としてできることはなんでもします。ぜひ、皆さんも一緒にやっていきましょうというメッセージをウェブサイトで発表しました。

多くの企業には自家発電装置があります。休止している火力発電所、将来的には太陽光発電、風力発電が考えられますが、今有力視されているのが石炭のガス化による発電です。それも褐炭のような従来は燃料として使えなかった低質の石炭が使えるのです。褐炭は世界中にそれこそ無尽蔵にあります。またシェールガス革命と言われている技術も進んでいます。

また、国民が意識して節電に取り組むことの効果はすでに実証されています。足りないと言いながら、原発なしで2年も夏を乗り切ることができたのは節電によることも大きいと思います。

原発はコストが低いと言われていますね。

そうですね。政府や原発関係の方々は、原発はコストが他の発電に比べて極めて低いと言いますが、それは現在稼働中の原発による直接のコストのみを計算しているからであって、「研究費・安全点検費」や「迷惑費(危険手当)」と言って原発立地地域への交付金などはもちろん、さらに「再処理工場操業費用」なども入っていませんし、使用済み核燃料の保管料は10万年分計上しなければなりません。また、廃炉費用などはまったく想定されていませんし、今回のような事故に備えた事故賠償保険料なども入っていません。経産省はkWhあたり原発だと6円、火力で10円、太陽光で40円と試算していますが、実際は120円から200円として計算するのが正確な発電コストなのです。

壊れた原発は、放射性物質を出し続けて、いつ何時、再加熱するかもしれない。あるいはその間、非常に高い放射線濃度で近づくことさえできないし、手が触れると火傷して死に至るという高濃度汚染水が何十万トンと出るわけです。現在でさえ、高濃度汚染水がすでに7万トンあると言われています。人体に影響を与えるものが、ずっと増えつづけるという状況なのです。そういうことを考えたら、コスト的にどう考えても見合うはずがない。

こうしたことは、アメリカの大手電気会社の相次ぐ撤退を見ればわかります。例えば電力会社エンタジーは8月27日バーモント州のヤンキー原発を閉鎖すると発表しましたが、閉鎖の理由は原発の発電コストです。アメリカでは安価なシェールガスの開発が進んでおり、近い将来エネルギーのほとんどを国内の石油や天然ガスで賄うことが可能とみられています。米国ではエネルギー価格の下落が進んでおり、試算方法にもよりますが原発のコストは天然ガスの2倍近くにもなっているのです。今年に入ってヤンキー原発以外にも3つの原発が閉鎖を決定していますし、7月にはアメリカの原子力発電事業に進出していたフランス電力公社が、原発の採算が合わなくなっていることを理由にアメリカ市場からの撤退を決めました。アメリカの場合、核戦略上、原子力開発そのものは必須と考えており、この分野からの撤退はまったく考えていませんが、商用ベースの発電所については、民間ベースで純粋に経済合理性だけで判断すれば良いということです。このことを見ても原発コストが他の発電に比較して低いと考えることはできません。ゼネラルエレクトリックのCEOが次のように言ったとのことです。「もはや原発に興味のある経営者いない」と。ご存知のようにヨーロッパでも原発からの撤退は急速に進んでいます。なのに、どうして日本は原発を維持しようとするのでしょうか。京都議定書で地球温暖化対策として二酸化炭素の削減が決められましたが、本当に温暖化が進んでいるのかには疑問があります。そもそも人間が排出した二酸化炭素によって地球が温暖化していると問題にしたのはアメリカの元副大統領アル・ゴアですが、ゴアはこの理論を楯に原子力発電ならば二酸化炭素を排出しないので地球に優しいと言って、アメリカの全ての電力を原子力発電に依存させようとしはじめました。ゴアの背景にアメリカ原子力産業がいると考えても不思議ではありません。それは、現在進められているTPPにもつながることだと思います。

右から吉原理事長、森山広報部長、新居崎会員、益子広報部員

右から吉原理事長、森山広報部長、
新居崎会員、益子広報部員

そうした状況に対してどうすれば良いとお考えになったのですか。

私たちは信用金庫を長年やっているいわば「会計のプロ」です。そこで採算性を考えたうえで、原発に頼らない、安心できる社会を提言していくことが、企業としての当然の立場じゃないか、と考えました。採算を考えたらやめたほうがいい。どの企業も同じことを思うはずだし、遅かれ早かれ、皆その方向で動くのだろうと思っていたのですが、意外なことに、賛同してくださる企業がほとんどありませんでした。国民の将来を考えることが国民の義務だとします。企業は法人という一つの人格をもった存在なわけですから、理想があったり、方針があったり、義務があったりするはずなのです。だから、それに基づいて行動するのが当然じゃないでしょうか。でもあのとき、ほとんどの大企業が反応しなかった。なにかしらのメッセージを打ち出したのは、楽天さん、ソフトバンクさん、スズキ自動車さん、東京新聞さん、鈴廣かまぼこさん……くらいでしょうか。企業経営者としてショックを受けましたし、ここまで大企業というのは堕落したのかな、と愕然としました。

そもそも信用金庫とは

城南信用金庫も金融機関のひとつですが、金融機関がなぜそのように考えたのですか。

信用金庫というのはもともと、街の皆さんが作ってくださった金融機関です。信金は地域をかぎって営業しています。歴史を振り返ると、日本では1900年に産業組合ができました。さらに遡ると、1844年にイギリスのロッチデールという土地で生まれた生活協同組合が、信用金庫の一番の大本です。当時、イギリスでも株式会社がどんどん拡大して経済発展を遂げていました。そんななかで、「経済学の父」といわれるアダム・スミスが、「自由経済は良いことだが、株式市場で資金を集める上場株式会社が増えることは好ましくない」と言ったのです。上場株式会社というのは、「お金さえ儲かれば良いのだ」という仕組みで動いてしまうから、その会社が正しいことをやるかどうか、世の中にとって良いことをやるかどうか、ということと関係なく、「きっとあの株は上がるから」という理由で株主が株を買います。「上場株式会社という仕組みでは、短期的な視野に立って、目先のことしか考えられなくなる」というアダム・スミスの予言は、現代のリーマンショックにも当てはまると思います。そのために、さまざまな法律や制度が作られて、国家的な政策が行なわれて、なんとかそれを是正しようとしてきました。そのひとつの方法として1844年に生まれたのが協同組合運動です。協同組合というのは、「お金」に振り回されない、人間性を中心とした企業こそが正しい在りかただということで生まれました。このロッチデールというイギリスのある町で生まれた考えかたがドイツへわたって日本に入ってきました。そして、人々の幸せに役立つ企業のありかたを考えて、日本にも協同組織企業を導入することになり、農協、生活協同組合、信用金庫が生まれました。これが信用金庫の歴史です。

城南信用金庫もそうですか。

1902年、産業組合法に基づき、幕府の重鎮であり、上総一宮最後の藩主であった加納久宜子爵が、大田区山王の自宅で都内最古の入新井信用組合を設立しました。加納子爵が信用組合の普及や啓蒙に尽力された結果、近隣の有力者たちは、入新井信用組合に学び、城南の前身となる信用組合を相次いで設立しました。国のため、地域のため、民衆のために一生を捧げた加納子爵は、「一にも公益事業、二にも公益事業、ただ公益事業に尽くせ」という言葉を遺しています。因みに、加納子爵の先祖にあたるのが、加納久通公です。久通公は、江戸時代中期に徳川代将軍吉宗の側近として、目安箱や小石川養生所の設置など庶民のための政策を講じた享保の改革を補佐しました。加納子爵の「困った人々を助ける」 という想いは、久通公の代から脈々と受け継がれてきたものなのです。入新井信用組合を見習って設立された大崎信用組合に、後に信用金庫業界のリーダーとなる小原鐵五郎氏が勤務していました。1945年8月10日に、城南地区の15の信用組合が合併して、日本一の規模を誇る城南信用組合(1951年に信用金庫に改組)が設立されると、小原氏は専務理事として実務面を取り仕切りました。以来、永年にわたり、城南信用金庫の理事長、会長としてのみならず、全国信用金庫協会、全国信用金庫連合会(現在の信金中央金庫)の会長として活躍し、信用金庫産業界の発展に多大な貢献をしました。小原氏は「貸すも親切、貸さぬも親切」、「据野金融」 等の言葉で、信用金庫の持つ公共的な使命を示しました。

こうしたルーツを見ても「地域を守り、地域の人々を幸せにする」 ための社会貢献を日的とした公共的な金融機関、地域発展のエンジンとして信用金庫が大きな役割を果たしてきました。地域のお金を集めて、地域に還元して、地域社会を正しく発展させる。そういう公共的セクターとして、元は町役場の中に置かれた金融機関でした。城南信用金庫も大崎村役場(現在の東京都品川区大崎)の一角で生まれました。つまり、信用金庫は町役場の金融部門だったのです。そう考えると、私たちがなんのために仕事をしているかの原点はそこにあるのがわかります。地域を守って、地域の人を幸せにするために生まれたのが、信用金庫のそもそものルーツですから。

(後編に続く)

このページの先頭へ